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天台真盛宗総本山 西教寺

2019.10.29

WRITTEN BY

おでかけmoa編集部

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異例の出世を果たした明智光秀が眠る墓

比叡山の麓、聖徳太子によって創建されたと伝えられている天台真盛宗の総本山。織田信長の手によって比叡山焼き討ちの際に焼失してから3年後、明智光秀が復興に尽力したという。総門は明智光秀の居城である坂本城の城門を移築。明智光秀の菩提寺であり、光秀一族の墓が現存されていることから“明智光秀ゆかりの地”として広く知られている。国の重要文化財に指定されたけやき造りの本堂や豊臣秀吉の伏見城から移築された宮殿、風情溢れる美しい庭園など、歴史の情緒を肌で感じることができる。

明智光秀が眠る明智一族の墓

明智煕子の墓も

少し離れたところに光秀の妻・煕子も眠っている。

明智光秀資料館

明智光秀資料館には、実際に使用されていた物品や書状が並ぶ。モアガール・ゆうこりんも熱心に見学。

展示されている書状。亡くなった武士の供養を依頼するために米を送った際のものだという。

本堂内の「身代わりの手白猿(てじろのましら)」

あらゆる災難からお守りいただける護猿として崇められている。こうして寺を護る猿として「護猿(ござる)」となり、「縁がござる」「福がござる」といって親しまれている。

総門

坂本城の城主であった明智光秀が、坂本城の城門を移築したと伝えられている。

フォトスポット

琵琶湖一望の絶景が楽しめる。

自然豊かな西教寺へ

桜や紅葉をはじめ、四季折々の景観が楽しめるのも魅力。

出世をするも三日天下!?愛妻家で知られる光秀の一生

[1528年 明智光秀誕生]
明智光綱とお牧の方の間に生まれる

[1553年 妻・煕子と結婚]
最初の正室である千草と死別後、妻木模煕の娘・煕子を継室に迎え入れる

[1571年 比叡山焼き討ち]
武功を上げたことで織田信長より近江国滋賀郡5万石を与えられ、信長の直臣となる

[1582年 本能寺の変]
本能寺の変で信長を自害まで追い詰めたものの、11日後に豊臣秀吉らと山崎の合戦で敗死する

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店名天台真盛宗総本山 西教寺
TEL077-578-0013
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住所大津市坂本5丁目13-1

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